2004年04月01日

◆今日の一品◆
H製 鳩時計
今日も全タウン再配布のみでしたので、既存のほのぼのタウンのアイテムから「鳩(ハト)時計」をご紹介します。
世界的に知られている鳩時計の歴史は、1640年ごろ、南にスイス、東にオーストリア、西にフランスと接している南ドイツにある通称「黒い森」と呼ばれるシュヴァルツヴァルトというところで始まりました。黒い森は南北160km。東西30-50kmの広さを持ち、一番高い山のフェルトベルク(FELDBERG)でも海抜1493mですのでなだらかな丘陵地帯という印象です。総面積6000平方キロメートルの内3分の2が森に包まれ、ドイツで最も広い森林地帯です。「黒い森」はその当時、長く、厳しい冬の間でも、有益で、理想的な時間/仕事の使い方を考えた末、黒い森でこの新しい地場産業ができあがりました。当初は、木と鋼線から作った簡単な時間を計る道具として、少ない量で実験的に作られました、そして、徐々に、新しい有益な産業へ変貌していきました:地理的に、経済的に隔離された農民を世界的に有名にした黒い森の時計の誕生です。今では、世界的にも、黒い森の時計と言えば、鳩時計がすぐに心に浮ぶようになりました。
その歴史は、1738年ごろ、フランツ・アントン・ケトラー氏によって今の鳩時計のスタイルが確立されましたといわれています。黒い森のションワルド出身のフランツ・アントン・ケッテラーは、教会のパイプオルガンの原理を利用したカッコーの時報が、時間になると、自動的に鳴る仕組の時計を生産しました。鳥の声を模倣した技術を時計に組み入れる技術は、中世ヨーロッパの貴族のための時計からのものです。フランスのストラスブルグ大聖堂の聳え立つ雄鶏が、鳩時計発想の原点のようです。そのような雄鶏の”さえずり”を、スイス/ベルンの大聖堂や、チェコのプラハの天文時計でもみることができます。時計のような小さな箱の中で、雄鶏の鳴き声を模倣することは難しいことでした。その中でも、カッコーの鳴き声が一番模倣しやすかったのです。それ以来、木製のムーブメントが、金属製に徐々に変わり、主流であった12時間ムーブメントに24時間、8日仕様ムーブメントが加わり、針が象牙から、セルロイド、プラスティック、木へと変わりました。原材料の変貌とともに、その地域の商人たちが、この時計を、ヨーロッパ中に紹介し、世界的に、知られるようになりました。また、デザイン自体もその時代背景にあった物が施される様になりました。今では、一番のオリジナルとされているハンターモデル(動物の狩)に対しても、アメリカの動物愛護団体からのクレームにより、動物が逆さにつるされているモデル(オリジナル)と動物が立っているモデル(愛護団体対策用)があります。そんな時代背景も、この時計に見ることが出来ます。